ピンクシャツデー運動のはじまり

 

ピンクシャツが運動のシンボルとなったのは、カナダの学生が起こした行動に由来します。
舞台は2007年、カナダ・ノバスコシア州のハイスクールです。9年生(中学3年生)の男子生徒がピンク色のポロシャツを着て登校したことをきっかけに、ホモセクシャルだとからかわれ暴行を受け、たえきれずに帰宅してしまいました。その出来事を聞いた上級生のデイヴィッド氏とトラヴィス氏。12年生(高校3年生)の彼らにとっては、その学校で過ごす最後の年でした。

「いじめなんて、もう、うんざりだ!」「アクションを起こそう!」
そう思ったふたりは、その日の放課後、ディスカウントストアへ行き75枚(∗)のピンク色のシャツやタンクトップを買いこみました。そしてその夜、学校のBBS掲示板やメール等を通じてクラスメートたちに呼びかけました。

「明日、一緒に学校でピンクシャツを着よう」と。
翌朝、ふたりはピンク色のシャツやタンクトップを入れたビニール袋を手に登校しました。学校について校門で配りはじめようとしたふたりの目に映った光景・・・
それはピンクシャツを着た生徒たちが次々と登校してくる姿でした。ピンクシャツが用意できなかった生徒たちは、リストバンドやリボンなど、ピンク色の小物を身につけて登校してきました。頭から爪先まで、全身にピンク色をまとった生徒もいました。

ふたりの意思は一夜のうちに広まっていたのです。
ふたりが呼びかけた人数より遥か多く、数百人もの生徒たちがピンクシャツやピンク色のものを身につけ登校してきたことで、その日、学校中がピンク色に染まりました。いじめらた生徒は、ピンク色を身につけた生徒たちであふれる学校の様子を見て、肩の荷がおりたような安堵の表情を浮かべていたそうです。以来、その学校でいじめを聞くことはなくなりました。

いじめに対して、学生たちは言葉や暴力ではなく行動で意思表示をしようと立ち上がったのでした。
カナダの学生たちが起こした行動が地元メディアで取り上げられると、瞬く間にカナダ全土へと広がり、アメリカのトークショーやスペイン最大の新聞でも紹介されるなどして、世界へと広がっていきました。メディアで彼らのことが紹介された翌日には、アメリカ、イギリス、ノルウェー、スイスから彼らの元へ多数の賞賛や感謝を伝えるメールが届いたといい、大きな反響が伺えます。この行動がきっかけとなり、現在、カナダでは毎年2月最終水曜をピンクシャツデ―とし、この日、学校・企業・個人を含めた賛同者がピンクシャツを着て「いじめ反対」のメッセージを送っています。

(∗)カナダのピンクシャツデー運営団体および海外メディアの記事よりTシャツ配布枚数を「50枚ほど」と記載してまいりましたが、創始者トラヴィス氏への直接インタビューにより、実際は75枚とのことで当団体では実際の配布枚数に記載変更いたしました。